罪悪感なんて受け取らなくても
この世は自分が創っているから、見たい世界をみている。だけれど、時に誰かの投影になって、相手の罪悪感が、流れ弾のように飛んでくる事がある。自分がみているのだから、と、真っ向から受け止めたら…痛い…。誰かの罪悪感を自分のせいだとまで、受け取らなくてイイ。そう知ってからは、人への恐さが減って、リ
この世は自分が創っているから、見たい世界をみている。だけれど、時に誰かの投影になって、相手の罪悪感が、流れ弾のように飛んでくる事がある。自分がみているのだから、と、真っ向から受け止めたら…痛い…。誰かの罪悪感を自分のせいだとまで、受け取らなくてイイ。そう知ってからは、人への恐さが減って、リ
今日は、あるグルコンで弟の事を話しました。簡単に弟の話をすると、不幸のオンパレードみたいな人で、家族にも、常に迷惑をかけ続けて来ました。話せばキリがないくらい、数々の不幸、社会不適合、厄介をやっている弟です。当然、私は嫌って、「こいつのせいで不幸だ。大嫌いだ。」そう思って生きて来た人生でした。
スピリチュアルやってると必ず出てくる「ゆるす」というキーワード。赦しなのか許しなのか?疑問に思ったから調べてみました。「赦す」は、罪や過ちを赦す。「許す」は、何かをすることを認める、許可する。 そして「恕す(ゆるす)」は、思いやりの心で罪の過ちをゆるし、相手の思いを図ること